■コーヒーノキがいつ頃から人間に利用されていたかは、はっきりしていない。 アラビカ種の原産地であるエチオピアのアビシニア高原では、オロモ人(ガラ族)が古くから利用していたとする説があり[1]、薬草または携帯食として潰した果実や葉を獣脂とともに団子状にし、用いていたと考えられている。
このほか西アフリカ沿岸では、ヨーロッパ人が1876年に「発見」する以前からリベリカ種が栽培・利用されており、野生種の利用はかなり以前から行われていたようである。
文献上の最初の記録は、575年にイエメンを支配したサーサーン朝ペルシャのもので、「当時のアラビア人はコーヒーの実や葉を煎じて飲料を作った」と記述されている[2](イエメンはこれに先立つ525年、エチオピアの勢力から侵入を受けている)。
その後もイエメンではイスラム神秘主義修道者(デルウィーシュ)に眠気覚ましとして用いられたが、宗教的な秘薬に留まっていた。 一般民衆に広まったのは、15世紀にファトワーで認められてから以降で、その後イスラム世界全域に拡大した。 現在の主要消費地域であるヨーロッパには、16世紀末にオスマン帝国から伝わった。
コーヒーの起源にはいくつもの伝説があり、最も有名なのが『カルディ(en:Kaldi)伝説』である。
9世紀のエチオピアで、ヤギ飼いの少年カルディが、ヤギが興奮して飛び跳ねることに気づいて修道僧に相談したところ、山腹の木に実る赤い実が原因と判り、その後修道院の夜業で眠気覚ましに利用されるようになった。
この話の原典とされるのは、レバノンの言語学者ファウスト・ナイロニ(Faustus Nairon)の著書『コーヒー論:その特質と効用』(1671年)に登場する「眠りを知らない修道院」のエピソードだが、実際には時代も場所も判らないオリエントの伝承として記されていた。この話がヨーロッパで紹介されると、コーヒーの流行に合わせて装飾が進み、舞台は原産地エチオピアに設定され、ヤギ飼いの少年にはKaldiというアラブ風の名が与えられた。
13世紀のモカで、イスラム神秘主義修道者のシェーク・オマル(Sheikh Umar)が、不祥事(王女に恋心を抱いた疑い)で街を追放されていた時に山中で鳥に導かれて赤い実を見つけ、許されて戻った後にその効用を広めた。
原典は、アブダブル・カディールの著書『コーヒーの合理性の擁護』(1587年)写本で、千夜一夜物語をヨーロッパに紹介したアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland)の著書『コーヒーの起源と伝播』(1699年)によってヨーロッパに紹介された。日本で流行したコーヒールンバの歌詞は、この伝説に着想を得ている。
15世紀のアデンで、イスラム律法学者のシェーク・ゲマレディン(Sheik Gemaleddin)が体調を崩した時、以前エチオピアを旅したときに知ったコーヒーの効用を確かめ、その後、眠気覚ましとして修道者たちに勧めた。さらに学者や職人、夜に旅する商人へと広まっていった。
信憑性が高い話とされ、ウィリアム・H・ユーカーズ(William H.Ukers) の著書『オール・アバウト・コーヒー』(1935年)でも取り上げられている。
最初に栽培されたコーヒーノキは、エチオピアのアビシニア高原が原産のアラビカ種である。 当初は寺院や修道院の庭園で植栽され、やがて果樹園のように拡大したと見られるが、詳しい資料がない。今日見られる大規模な農園は、17世紀末のオランダによって、東南アジアでつくられた。 17世紀に入り、ヨーロッパ各国にコーヒーが普及し始めると、イギリス・フランス・オランダの東インド会社がこぞって、イエメンからの輸入取引を始める。コーヒーの積み出しが行われたイエメンの小さな港の「モカ」が最初のコーヒーブランド、モカコーヒーにもなった。